春歌はその日も会場の一番後ろ、その端でひっそりとライブを見守っていた。
春歌の恋人である一ノ瀬トキヤは、いまや押しも押されぬアイドル。
学園を卒業し、HAYATOも卒業したトキヤははじめこそ仕事が少なかったものの、すぐにドラマ・映画と忙しくなっていった。
もちろん、トキヤの歌も大人気。ライブとなれば毎回即完売で、プレミアチケットとしても有名だった。
今回のこの夏のツアーも全会場満員で、大成功といっていいだろう。
今日は東京での最終とあって、盛り上がりも一番だった。
(喜ぶべきなのに・・・)
春歌はライブを見ながらも浮かない顔をしていた。
(いけませんね、どんどんワガママになっています。トキヤ君はアイドルなんですから、笑顔を…愛を歌で届けるのは当たり前のこと……)
そう、春歌は不安だったのだ、今のトキヤにとって自分は必要なのか。
音楽しかない自分を好きだといってくれたトキヤ。その気持ちを嘘だと思ったことなど一度もない。
思ったことはないが、ステージやテレビに映るトキヤを見ているとどうしても不安になってしまう。
自分は本当にトキヤにとって必要な存在なのか・・・
もちろんトキヤのことは愛しているし、春歌にとってはトキヤ以外は考えられない。
浮かぶ音楽はすべてトキヤへと繋がっている。
でも、トキヤは自分がいなくても輝いていけるだろうとどうしても考えてしまう。
ライブとなるとより一層その気持ちが大きくなってしまうのだ。
きらびやかなステージでスポットライトを浴び、アイドル・一ノ瀬トキヤのステージを作り上げる、あの存在感。
そして、ここにいるファンを魅了するパフォーマンス。
自分だけの存在ではないと見せ付けられてしまう・・・
そしてそんなことを考えてしまう自分自身が一番嫌だった。
(こんなことではトキヤ君の彼女失格ですね。彼と音楽を紡げる…それだけでも幸せなことなのに・・・
このままこんな気持ちでここにいてはいけませんね。お家でトキヤ君の帰りを待ちましょう・・・)
春歌はそっと息を吐くと静かに会場を後にした。
大きな会場。春歌1人会場を抜けたところで誰も気づかないと思っていた。
だが、たった一人気づいた人物が…
春歌は気持ちを落ち着かせようと歩いて帰っていた。
(そろそろライブが終わる時間ですね。今日は最終日ですし、トキヤ君が帰ってくるのは24時すぎですかね)
そんなことを考えながら歩いていると、ふいに携帯が鳴った。
送信元を見ているとそれはトキヤからのものだった。
●/△/28 21:18 一ノ瀬トキヤ Sub: どこにいますか? まだ、会場近くにいますか?
申し訳ありませんが、会場の客席まできていただけないでしょうか?
- END -
(?)
今まで、ライブ終わりは春歌が一足さきに家に帰り、トキヤを出迎える。
それが常だったのでこのようなメールは初めてだった。
といっても、ライブの途中で抜け出してしまったのは今日が初めてだったが・・・
春歌は不思議に思いながらも了承の旨を返信し、先ほどまでいた会場へと急いだ。
春歌が会場に着くと、既にロビー等は片付けられスタッフも帰ったのか会場は静寂に包まれていた。
静寂の中春歌が客席に行くと、ステージ中央にステージ衣装も着替え私服のトキヤが1人立っていた。
「トキヤ君!どうしたん・・・」
春歌がトキヤに話しかけようとすると、トキヤは微笑み口元に人差し指を立てた。
トキヤは一度目を閉じ、春歌を見つめると歌を紡ぎだした。
伴奏もスポットライトも衣装もない、アカペラでの歌。
春歌を見つめながら一緒に作り上げた歌を。
(トキヤ君・・・)
そこは春歌とトキヤだけの世界だった。
まるで時が止まったかのような空間。
トキヤの気持ちが全て詰まった歌だった。
(あぁ、トキヤ君の音楽も私に繋がっていたのですね)
春歌は知らぬ間に涙を流していた。
トキヤは歌い切ると春歌の元に静かに歩いてきた。
「伝わりましたか?」
トキヤは春歌の涙を指で優しく拭いながら穏やかに微笑んだ。
春歌以外に見せない、本当の笑顔。
「はい・・・」
「春歌。私はアイドルでいる限りあなたを不安にさせてしまうかも知れません。でも、まだやめられないのです。
二人の音楽を私はもっと伝えて行きたい。我がままかもしれませんが・・・」
「そんな事ありません。私が自分のことばかりで勝手に…」
トキヤは人差し指を春歌の口元に寄せ言葉をさえぎる。
「私は、あなたがいなければこうしてステージに立つこともありません。
伝わったのでしょう?あなたの音楽が私に繋がってくれているように、私の音楽も全てあなたに繋がっているのです。
あなたがいなければ紡ぐことはできないんですよ。
そしてアイドルをこの業界をやめても私はあなたと最後まで、音楽を愛を紡いで行きたい」
「えっ?」
「春歌はどうですか?私とともに最後まで紡いでいってくれますか?
最後二人だけになってしまったとしても、隣にいてくれますか?」
「もちろん・・・もちろんです。私も」
トキヤの想いに春歌は涙があふれて止まらなかった。
トキヤはそんな春歌を愛おしそうに抱きしめた。
「春歌は泣き虫さんですね。それと、もうライブの途中で出て行くなどやめてください。あの時は歌えなくなるかと思いました」
「トキヤ君がですか?」
「そうですよ。あなたが不安なように私だって不安になることもあります。ましてや、あなたへの愛を歌っている最中にいなくなるだなんて」
トキヤはわずかに震えながら春歌を一層強く抱きしめた。
(あぁ、トキヤ君もおなじだったのですね)
春歌は胸の中に何か温かいものが芽生えるのを感じ、トキヤの背中にそっと手を回した。